エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の十三「今更ながら日本文化・・・のお話」

ここ2,3日吹き荒れている風も、何処と無く春の気配を感じる柔らかな風になって参りました。
以前、調度今の時期に山間で、うぐいすが啼く練習をしているのに偶然居合わせた事がありました。うぐいすは最初から「ホーホケキョ」と普通に啼くと思っていたので、最初耳に飛び込んできた「ホケ・・、ホケ・・」と苦しげに啼いている鳥がうぐいすだとは全く気が付きませんでした。ところが暫く耳を傾けていると「ホケ・・・、ホケ・・、ホケキョ・・・」と進化しだしたので、あ~、うぐいすなんだと気が付き、その「あれっ、上手くなけないなぁ。どうだっけ?よ~し!もう一回」とでも言ってそうなその滑稽な愛らしさに思わず微笑んでしまいました。それから何とかうぐいすらしく啼けるのには暫くの時間を要しましたが、最後に「ホー、ホケッキヨウゥゥゥッ!!!」と叫びに近い啼き方をしたのには大爆笑でした。「やった!!」といわんばかりの、どんなにか誇らしげな顔をしているかと思うと笑いが後を引いて、何年も経った今でも思い出し笑いをしてしまいます。

生物学的に言うと「ホーホケキョ」が接近する他の鳥に対する縄張り宣言、「ケキョケキョケキョ」が侵入した者への威嚇であるとされているそうです。と言うことは、うぐいすの啼き声を通訳すると「こらこら、そこの侵入者、ここを何処だと思ってるんだ!オイラの縄張りに入るな!!」・・と云ってるわけですね・・・・・。何だかロマンチックじゃないですね~。矢張り真実というものは、時と場合に寄っては覆い隠されていた方が良い時も有るのかも・・・です。

ところで先日踊り初めが有り、その「うぐいす」・・・春まだ浅い今の季節にぴったりの清元「うぐいす」(作詞 池田!)子/作曲 清元寿兵衛)を踊って参りました。

うぐいすの 笹鳴き初めし軒の梅 
囲いの内は松風の たぎる思いをしっとりと
袱紗捌きに紛らせて 濡るる柄杓の湯加減も 
ほんに嬉しい人来鳥

たったこれだけの短い歌詞、踊りにして8分程の演目の中に、恋を知り始めた一人の乙女が、お茶室に篭りお茶を点てて心を落ち着かせようとする様子、乙女の恋心が巧みに詠み込まれており、恋の予感に心をときめかせる主人公を早春の肌寒い季節や、硬い蕾の梅の花、うぐいすの「ささ鳴き」に擬えたりしています。

つまり、乙女は硬い蕾の梅であり、覚束ない啼き声のうぐいすであり、早春の季節そのものなのです。唄の最後に出てくる「人来鳥」(ひとくどり)はうぐいすの別称で、「人来鳥」に象徴された「まだ見ぬ愛しい人」が来る、現れる事を、心待ちにする乙女の初々しい姿で幕が閉じます。歌詞には「松風」や「袱紗捌き」「柄杓」等、茶の湯の言葉が多く使われていますが、ただ言葉として使われているだけでなく、その歌詞の複線に読み込まれている乙女の情感を、どう表現するかが踊り手としても面白いところなのです。

その全ての要素は、着物の色や模様、帯とのバランス、帯の結び方、扇子の模様等、身につける衣裳や小道具を選ぶ時にも大切な要因となり、選びながら舞台は本当に和文化の総合芸術だなと実感させられるのです。今回私は、早春をイメージするうすい黄緑色地一面に枝垂れ梅の描いてある着物に、すっきりと金地の織帯を一文字に結び、帯揚げ帯締めを白で統一し品格のある雰囲気を出し、梅の花の描いてある金の扇子を持って踊りました。
このように日本舞踊の歌詞の中には、例外なく必ず季節や和の文化のキーワードが入っており、その言葉を聞いた途端その季節や場所の空気感や温度感が、それぞれの経験の中から蘇って来る、本来そういったもののはずなのです。が、世界に誇る美しい文化や四季を宝の持ち腐れにしている今現在の日本には、その経験や感性の部分を持つ人が少なくなって来ています。茶の湯の経験の無い人や「梅にうぐいす」のようなお決まりのような物さえピンと来ない人には、この歌詞の世界の情景を想像することは不可能でしょうし、説明しても落語の落ちを説明するのと同じ位、面白みの無いものになってしまう事は否めません。和の文化に関する阿吽の呼吸、暗黙の内の了解等と言う類の物は、何処かの年齢層で完全に断絶しているように思えてなりません。

現代の生活からは掛け離れてしまった、失くしてしまうには余りにも勿体無い日本の文化を守り、伝えていくためには、美しい物を美しいと思える感性から育てていかなくてはならない所まで来てしまったのかと思うと、もう手遅れなのかなあ・・・、と正直な所、余りにも非力な自分に暗澹たる気持ちになる事も・・・・。
願わくば日本人としてのDNAがまだ死に絶えずに残っていて、どこかでその感性の琴線に触れることの出来る物や、出来事にであって欲しいと心から思います。形、色、音、匂い、味、動き・・・。それが何であるか、個人に寄ってきっかけになる物は違って当然ですが、日本人である以上何かきっとあるはずなのです。
「欧米か!!」ではないですが、欧米という異文化の色の下にすっかり塗り込められて、今息を潜めてしまっているとしても、私は本来有るべき日本の色が日本人の心のどこかにある限り、いつかきっと蘇ると信じでいます。だから私は日本の色に身を包み、日本の音に突き動かされて、日本の踊りを踊り続けたいと思うのです。

<参 考>

  • 「笹鳴き」冬にうぐいすが舌鼓を打つようにチチと鳴くこと。[季]冬。
  • 「軒の梅」 軒端に咲く梅の花のことで、部屋の中に漂う仄かな梅の香りを初々しい乙女の心に喩えている
  • 「囲い」〔広い部屋の一部を囲って茶席としたことから〕茶室。
  • 「松風」茶の湯で、釜の湯の煮え立つ音。
  • 「袱紗」(「帛紗」と書く)茶の湯で、道具をぬぐったり盆・茶托の代用として器物の下に敷  いたりする絹布。
  • 「濡るる」濡れると言えば例外なく恋愛、または情交の世界のこと。
  • 「湯加減」湯の熱さの具合。ここでは乙女の熱い思い。
  • 「人来鳥」うぐいすのこと。ほかに春告鳥、匂鳥、黄粉鳥、花見鳥、経読鳥などと異名が多い。
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