コラム日本舞踊

一、お稽古場という空間

お稽古場の扉を開けるところから、日本舞踊のお稽古は始まっています。あなたはどのように扉を開けますか?そして何処にどのように履物を脱ぎますか?挨拶は・・・?等々。 所謂、心構えや礼儀と言われるものですが、この心構えや礼儀、心遣いというものに、伝統芸能を学ぶ意義が集約されていると言っても過言では有りません。履物を脱ぐべき位置に脱ぐべき形に脱ぐという事は、簡単そうでいて意識が無ければ実際にはなかなか出来ないものです。
自分の出来なさが浮き彫りにされ、自分の歪な心が形になって表れるのが、お稽古場という不思議な空間です。どんなに取り繕っていても教える立場からは、性格や微妙な心の動きまでお見通しです。 日常生活はどう有れ、一旦稽古場に入ったら毎回真っ白な心で、お稽古場の中で起きる全てのことを習おうという気持ちが大切です。大人に成れば成るほど「真っ白な心」に成る事の難しさを痛感しますが、それでも教える立場の方としては、日本文化の一端を担っているという意識をきちんと持って、稽古に付随する日本人の美意識を伝えていく事が大切だと思います。
例えば、畳の文化が基本になっているわけですから、ご挨拶は座ってするとか、立ったままご注意を受けたり、話をしたりしないとか、お稽古を始める時「お先に。」「お願い致します。」終わる時「有難う御座いました。」「お先でした。」の先生や先輩方にするご挨拶の仕方、又どうしても人の前を通らなければならない時は身を低くして「失礼します。」と言って通る、月謝やご祝儀などは新券を使う等々、文字にするととても面倒に感じるかも知れませんが、実際稽古場の空気の中で見てみると、けじめの有るとても美しい姿に見えるのです。一口に言えば、相手に対するちょっとした気遣いであったり、立場を尊重する気持ちを形に表した言動で有ったりするわけです。

形と心は表裏一体です。心が形に表われるのも真実なら、形が心を作るのも真実です。心を形にした時、見える形を人はその人の心だと思います。見えたその形がもし美しいと思って貰えなかったとしたら、悲しいかな、本当はそうでなかったとしても人はその人の心を美しくないと判断してしまうのです。

美しい型を真似る事から入る芸事は、そういった意味で自分の歪な心が形となって表れ、普段の生活では見逃しがちな、多くの事を容赦なく自分自身に突きつけて来ます。自分自身をいつまでも謙虚にさせてくれる貴重な時間と空間として、お稽古場は貴重な場で有るといえるでしょう。

二、日本舞踊の歴史

日本舞踊は江戸時代にめざましい発展を遂げ、庶民にとって最大の娯楽の一つとして多くの人々の支持を得た「歌舞伎」の基本要素として発達し、明治時代に独立したジャンルへと進化したものです。
豊かな表現方法を持ち、西洋のバレエやダンスとは異なる、独特の世界を持っています。江戸時代、鎖国という歴史的背景の中で培われた、純粋な日本文化の結集が「歌舞伎」で有り同時に日本舞踊であると言えるでしょう。
踊りは本来人の喜怒哀楽を自由に表現するもので、古来より世界中で神を賛美し、畏怖の念を表す事から始まりました。日本では『古事記』の"天の岩戸"(参照)に記されている神話が最も古い踊りの起源とされています。縄文時代の晩期にはすでに神を迎える儀式としての踊りが日本全土に広まっていて、稲作を中心の生活をしていた日本人は、特に豊かな実り(五穀豊穣)と平和(天下泰平)の願いを込め、神に祈り踊りました。

その後人々の願いは戦乱の時代から平和の世へ移り変わるにつれ鎮魂と平和を祈念するものへと移行して来ました。又、神を祀る目的とは別に、その時代時代に於いて、舞楽、能、狂言等の芸能が時の権力者の保護の下に独立したジャンルとして完成されました。

そして江戸時代、出雲の阿国という女性によって「歌舞伎」がその産声を上げ、再現可能な娯楽性の高い芸能として花開いたのです。鎖国という時代背景の中、歌舞伎はそれまでに確立されて来た様々な芸能の要素を取り入れ、世界に類を見ない日本独特の文化として進化して行きました。
歌舞伎と共に日本舞踊家の元祖である"踊りの振付"の専門家が生まれたのもこの時期でした。彼らは歌舞伎の要素の一つである踊りの振り付けを行い、振付師、又は狂言師と呼ばれ"歌舞伎舞踊"の伝承者として活躍しました。
この人々の活動は明治時代に入ってから"日本舞踊(にほんぶよう)"という独立したジャンルとして実を結ぶ事になります。

(参照)岩戸の中に隠れた天(あま)照(てらす)大(おお)神(みかみ)の怒りを鎮める為に天鈿女命が踊ったという「古事記」の中の神話。

三、日本舞踊の衣装・鬘・化粧

江戸時代の人々は今と違って、姿かたちを見ただけで職業、身分、未婚者か既婚者かなどが判別出来ました。着ている物の柄や生地の質、仕立て、髪型、化粧等がその判断基準になっていたわけですが「歌舞伎舞踊」の本衣装と呼ばれている物はその当時の人々の姿が元になっています。役柄によって衣装・鬘・化粧に細かい決め事が有り、そのそれぞれが見事なバランスで一つの役を作り上げていきます。
まず、衣装で特筆すべきは「引抜き」と言われる手法です。踊り手があらかじめ重ね着している、色も柄も違う数枚の着物を、音や場面の変わり目で、上に来ている着物から順に後見(参照)がタイミング良く剥ぎ取ってていきます。色の違う着物に一瞬で見事に変わる姿に観客は思わず拍手をしてしまいますが、その当時の人々もさぞかし驚き、感動した事でしょう。
これは、今のような照明技術の無かった時代の工夫の一つで、色の違う着物に瞬時で変わることによって、照明の色や明るさが変わったと同じ様な効果を生んだのです。現代にも十分通用する斬新な衣装のデザインや柄、色彩は、その当時の自由な気質が、成熟した文化を作り上げた結果の一つだと思います。
鬘も衣装と同様、役柄によって結い上げ方や飾り等に細かい決め事があります。また、衣装の「引抜き」のように、瞬時で髪の形を変える「ばらし」と言われる手法など、様々な工夫がされています。
また当時、芝居小屋の無かった頃は野外で演じていましたが、後年、屋内で演じるようになると、明り取りの窓から入る自然光と蝋燭の光のもとで演じるようになった為、薄暗い光の中でもくっきりと顔が浮かび上がる様、顔や身体に白い化粧を施しました。これが舞台化粧の中でも「白塗り」と呼ばれる、日本舞踊独特の化粧法の始まりです。
「白塗り」と一口に言っても、顔の色や、眉、目、唇の形は役柄によって異なり、特に隈取など、心のなかに納まりきらない気持ちの高まりを鮮やかな色とラインで表現したものは、衣装と同様現代にも通じる斬新さといえるでしょう。
化粧をする事を「顔を作る」と表現しますが「顔を作る」はまさしく「役を作る」に通じる物が有ると思います。化粧をしている間に役の心が作られ、衣装を着けることで姿が作られ、鬘を被った事により魂が入る。その変身の過程は、何度経験してもエキサイティングで毎回が新鮮なものです。

四、日本舞踊と舞扇

踊り手にとって無くてはならない大切な小道具の一つに、舞扇が有ります。この扇と手拭いが有れば、大抵の物は踊れてしまう位、扇は何にでも変化させることの出来る、また踊り手自身をもそれによって変身させてくれる優れものです。
閉じたまま使えば、笛・杖・刀・傘等に見立てられますし、1枚開いて二等辺三角形にすると、羽子板・徳利・手紙等。全部開いて平面にすれば、本・笠・建具・鏡・桶等。又開閉と動作を組み合わせると、簾になったり、花が開いたり、他にも風や雷の自然現象、太陽・月・山などの風景と森羅万象に至り表現は可能、工夫次第で無限です。
又、扇の先を自分の手の先だと思って使うと、実際より踊っている時の印象の方が大きく見えたりする、魔法も使えてしまいます。

扇はお稽古の時や舞台で踊る挨拶の時に、自分と観客との間に閉じた状態で置いてお辞儀をしますが、これは自分と相手との間に「結界」(元は仏教用語)といわれる精神的な境界線を引くという意味合いが有り、謙虚な姿勢で踊りますと言う心が形に表れたその凛とした姿は、扇が単なる道具という以上に、踊り手にとって神聖な心の有り方の象徴と言う意味合を担っていると思われてなりません。

五、日本舞踊の演目

日本舞踊の演目と一口に言っても、膨大な数になりますし、分類の仕方も様々ですので、ここでは特に古典舞踊を中心に演目の種別と特徴をお話したいと思います。

古典は大きく分けて「歌舞伎舞踊」と「歳旦舞踊(御祝儀)」に分類する事が出来ます。日本舞踊を知らない人でも「藤娘」や「汐汲み」等の美しい姿を、人形や写真等でご覧になった事が有るかも知れませんが、これは日本舞踊の中の「歌舞伎舞踊」と呼ばれる種類の物で、江戸時代、歌舞伎役者によって初演されました。重たい本衣装をと鬘を着け、役柄に扮装して踊る大掛かりなものです。

「歌舞伎舞踊」の中には、松羽目物(大きな松が描かれた大道具を背景に踊られる、能や、狂言を題材にしたもの。三番叟など、儀式的なものも含まれる。)・風俗舞踊(江戸の人々の様々な生業を踊ったもの)・道成寺物(安珍清姫の伝説を舞踊化したもの)・石橋物・怨霊物・狂乱物・道行物等々が有ります。又「歌舞伎舞踊」の特徴のひとつとして、必ず扇子以外の小道具を使う事と、時には台詞が入る事が挙げられます。役柄に成り切るテクニックや、重たい衣装を美しく捌く工夫など「歌舞伎舞踊」は先人達の知恵の宝庫と言えましょう。

もうひとつの「歳旦舞踊(御祝儀)」は一般には素踊りと言われていて、本衣装を着けず、男性は紋付・袴で鬘を付けず扇子一本を駆使し、屏風の前で様々に踊り分けます。女性も基本は紋付で踊りますが、違いは前割れと呼ばれる独特の鬘を付け、時には裾引きの衣装に、高島田と呼ばれるやはり品格のある姿でおどることも有ります。上村松園の「序の舞」のような姿です。

江戸時代より、振付師や町の師匠達によって継承された特殊分野で、前者が歌舞伎役者ならば、こちらは舞踊家の為の物と言えるでしょう。元々江戸時代に振付師達が、新年などに身分の有る人に召されて座敷で踊った為、その当時の改まった着物、紋付で屏風の前で踊った形を踊りの継承と共に引き継いだようですので、成り立ちの性格上、何よりもまずは品格を重んじられます。素踊りには、一曲の中で一人何役も瞬時の内に踊り分けなければならない面白さと、難しさが有ります。例えば清元「北州」では、一曲の中で踊り分けるキャラクターの数が十八人(流派によっては多少違いが有ります。)ともいわれており、それぞれの役柄や情景が、観客に見えて来る表現を求められます。

それぞれをたとえて言うならば、極彩色の油絵と無彩色の墨絵。油絵の鮮やかさと迫力もさることながら、取分け墨の濃淡だけで描き、その物の色を想像させるという素踊りの難しさと言ったら、見る者にとっても、踊る者にとっても、ぞくぞくするほど魅力的です。

六、舞・踊・振

日本舞踊の動きは、「舞・踊・振」の3つの要素で構成されています。

まず「舞」は能から取り入れられた動きで、決まった型を崩す事なく、規制された動きで心の内を表現します。「舞」は松羽目物(参照)と言われる能や狂言を題材にしたものや、チラシ(参照)の部分で用いられる事が多く、どちらかというと直線的な四角いイメージの動きで、改まった格式の高い雰囲気を醸し出します。

次に「踊」は「舞」とは対極的で、型に拘らず自由自在に心の赴くまま手足を動かし、哀楽喜怒を表現します。また「踊」は、踊り地又は太鼓地(参照)と呼ばれ、話の筋にあまり関係無く、動きを楽しむ場面等につかわれます。

最後に「振」ですが、これは一口に言うとパントマイム若しくはジェスチャーと言われているもので、この3つの要素の中では、一番日常に近い動作と言えるでしょう。「振」くどき(参照)の部分など、日本舞踊全体を通し芝居的な要素として、一番よく使われています。

この3つの要素が踊りの中に巧く組み込まれ、見ている人を飽きさせない様、振り付けに工夫がされているのです。

七、音楽と踊りの構成

日本舞踊で使われている音楽は一般に「邦楽」「三味線音楽」と呼ばれているもので、長唄、清元、常磐津、義太夫をはじめ様々な種類の三味線音楽と唄に、お囃子または鳴り物と呼ばれる、打楽器や笛で伴奏されます。

初めて邦楽を耳にする人にとっては、その様々な種類のどれもが、同じ様に聞こえがちですが、使用する三味線の種類や、声の発声等それぞれに特徴を持ち、聞き慣れて来ると、音や唄の雰囲気の違いが判って来ると思います。また、日本舞踊の踊りの構成は、大まかに次のようになっています。

・幕開き(鳴り物の音によって、これから踊られる演目の内容を、イメージさせる。)
・置き(これからどんな踊りが始まるのか唄で説明する。)
・主人公の登場(自分はどのような立場の人物か、今から何をするのか等の自己紹介をする。)
・くどき又は語り(主人公の心情を一人で踊り込む。女はくどき、男の場合は語りと言う。)
・踊り地(一転、テンポの有る明るく賑やかな曲に乗り、早間の踊りを踊る。話の筋にあまり関係無く動き楽しむ場面なので、しばしば、たった今まで睨み合っていた敵同士が、突然仲良く踊りだしてしまう事も有ります。)
・ちらし(踊り地でくだけた曲が改まり、踊り納める。)

この様に大体の音と踊りの流れを知っていると、踊りの内容を知る手掛かりになり、見ていても分かりやすいのではないでしょうか。

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