エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の十六「着物の合わせ・・・のお話」

桜の季節が過ぎ、青葉の美しい季節になりました。
良い季節なのにも係わらず、桜の時期のテンションが高すぎるせいか桜が散ってしまうのと同時に毎年この時期は暫くテンションが上がりません。困ったものです・・・。

ところで、日々日本伝統文化に近いところで生活をしていても今更・・・、というようなタイミングで改めて疑問に思ったり、真実に気が付いたりすることが往々にして有るのですが、 今年に入って「着付けと所作」の講座を定期的に開催していることによって、殆ど毎日身につけている着物に関して色々と気付かされる事が有りました。

まず、着物の袖の脇、「身八口」と呼ばれている部分は何故開いたのか。 これは日本舞踊の起源とされている「天岩戸」の話しが載っている日本で一番古い書物といわれている「古事記」の中の 「八岐大蛇」の話に由来しているそうですが、大蛇の餌食に差し出される姫が熱を出し、その熱を冷ます為に袖着けの脇の部分を裂いたのが 「身八口」の起源だそうです。
長唄「七福神」の始めにも「それ、伊弉諾弉冊(イザナギイザナミ)夫婦寄り合い漫々たる和田津海に天の逆鉾降させ給い引上げ給う其したたり 凝り固まって一つの島を・・・。」という歌詞が有り、 矢張りこれも「古事記」の国造りの話しが題材になっていますし、今回の「身八口」も同様に、日本舞踊を含む日本文化と「古事記」は 切っても切れない関係に有るのだと改めて思ったのです。

その中でも着物の合わせ方で良く言われる「右前」「左前」。この合わせ方は何と、なんと1300年も昔から法律で決まっていたそうです。

養老3年(719年)2月3日に元正天皇が発布した衣服令『天下百姓ををしてえりを右にせしむ』つまり、上は天皇から下は百姓まで、 えり合わせをするときは、右襟を先に合わせると決められました。 それ以前は奈良県の明日香で発掘された高松塚古墳の壁画の中にも、左衽(ひだりまえ)にした女性が描かれているように、 まちまちであったと考えられますが、衣服令以来、日本人はその法律を律儀にも守り続け現在に至っているわけです。

その理由の1つには日本人は右利きが多く、「右前」の方が着物を整えやすいという理由が考えられますが、 他にも頼りになる部下の事を「右腕」大切にしている言葉の事を「座右の銘」と言ったり、 日本人にとって「右」という言葉のイメージはいつの頃からか、どこか良いイメージに繋がっている、 その事にも何か関係しているのではないかと思います。
反対に「左前」は広辞苑にも「衣服の右の衽(おくみ)を左の衽の上に重ねて着ること。普通の着方と反対で、 死者の装束に用いる」とあるように、「左前」は単純に着装上の失敗だけでなく、 死者の装束に用いる着方であることから、「不吉」、「縁起が悪い」などの精神的な反発も強いようです。 その他にも傾きかけた経営などを「左前」と言ったり、 「左」は「右」とは反対に余り良いイメージでは使われていないのが不思議です。
また、舞台の左右を表す「上手・下手」も舞台に向かって「右=上手」「左=下手」と言い、役柄で身分の高い役、 若しくは数人で踊る時、先輩格の舞踊家が上手(右)に位置するというのは、 舞台上では暗黙のうちの了解の仕来たりです。また、板付き(幕が開くと既に出演者が舞台にいる事)以外は例外を除き殆どの場合、 出演者の出は下手(左)からになります。日本の伝統芸能の舞台特有の 「花道」も舞台の下手(左)に配されています。これは、観客より高い位置で演じる演者の謙虚な姿勢が、 形になって表われたものの1つではないかと思います。
「右」と「左」に対する日本の言葉の持つ響き「言霊」を思うとき、日本の着物が男も女も「右前」なのに対して、 欧米の洋服は女性だけがなぜか「左前」なのも興味深い話です。 男性と同様に活躍する場を得る為には、日本の女性だけが日本のタブーとされている「左前」のスーツに身を包まなければならない・・・、 なんて深読みしすぎでしょうか?

でも、女性が外の世界に向かって進出すればするほど、家庭という一番身近な一番大切な人間関係の形態が崩壊している現状を思うとき、この法則もあながち外れていないように思うのです。

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