エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の九「江戸時代のエコ・・・のお話」

私が宝塚を辞めた幾つかの理由の1つに、物や人に対する「感謝」の気持ちが、知らず知らずのうちに慣れになっていく怖さを感じたと言う事が有ります。
タカラジェンヌというだけで、周りは理由も無くちやほやして呉れます。特にかの有名なベルばらブームの熱がまだ冷めやらぬ時期でしたので、 音楽学校の一年目(予科生)の時からマスコミ等にも注目され、舞台にも立たないその頃から、青田買いのファンがいたりしました。 思春期真っ只中の多感な時期、同期生でも特に地方出身の純真無垢な性格の持ち主は、音楽学校二年目(本科生)を迎えるとこの世界独特の影響を大きく 受け外見も内面もまるで別人の様に変貌を遂げている者もいました。 入団をすると今度はそれに加え、筋金入りの諸先輩方が大勢いる中、 信じられないような出来事や言葉を見聞きするにつけ、ずーっと死ぬまでこの世界に居るのならまだしも、 外の世界に出たときに果たして社会復帰出来るのだろうかと、 ある時から強く不安に思い始めたのです。

初舞台の頃、ファンの方から頂くお花やプレゼントやお手紙は本当に励みになり、大切に家まで持って帰り、花を一杯に飾った部屋で1つ1つ包みを開け、 手紙を読み、返事を書いたりしたものですが、過ぎていく年月が経てば経つほど、第三者から見て人として当たり前のそんなことが、渦中の本人にはどんどん 難しくなって来るのです。忙しくて時間が無いという事も大きな理由の1つでは有りますが、もっと大きな理由は「慣れ」と「傲慢」です。

「初心忘るべからず」とは室町時代、能の創始者世阿弥が「風姿花伝書」 (能の風姿を花にたとえ、「その風を得て、心より心に伝わる花なれば、 風姿花伝と名づく」と、子どもの発達段階を踏まえた能の稽古の有りようを示した教育の書でもある)の中でといた言葉で、 「初心にかえれ」「初めて事に当たる新鮮な感動を忘れるな」などと理解している人も多いと思いますが、本当の意味は「事に慣れ上達し始め、 何か自信が出てきたときの自己満足を戒める」事だそうで、これは芸事と同じで常に謙虚でいなければ人としても又生長し得ないという深い言葉なのです。
今現在も尚、日本舞踊という芸事の世界に身を置いてはおりますが、私にとって宝塚の世界とは異なり伝統芸能の世界は、自分自身と向き合う要素が大きく割合を占め、 まだまだ謙虚さには程遠いのかも知れませんが、自分の人としての修行の足りなさを日々感じながら過ごしています。

さて、前置きが長くなりましたが、私が日本舞踊を本格的に始め江戸時代に興味を持ち出したきっかけの1つになったのが。石川英輔 という作家の書いた一連の著書にあります。多くの作品を書かれてますが「大江戸神仙伝」のシリーズは特にお勧めです。
主人公が現代社会から江戸時代にタイムスリップし、恋人の江戸芸者いな吉との恋物語を展開していくという内容で、とても面白くて続けさまに全部読みましたが、 ただの恋愛小説ではなく話の中にさりげなく出てくる江戸時代の知恵や習慣の殆どをこのシリーズで知ったと云っても過言ではありません。
例えば、(突然尾籠な話で恐縮です)日本は下水が無くて不衛生だったという印象が有りましたが、実はそうでは無く正確には、糞尿は全て下肥として 買い取られたため下水を作る必要が無かったそうです。

それもケチで食べ物を始末している商人の物は質が悪く、反対に女房を質に入れても初物を食べようなんていう、 食べ物には糸目を付けず、宵越しの金は持たない身体が資本の職人の方の質が良いとか、 面白可笑しく真実を伝えるこの物語には完全に嵌ってしまったのです。
着物もそうです。庶民は絹の着物など中々身に着けられなかった様ですが、木綿の着物でも大切に大切に擦り切れるまで着回しされ、 その後奇麗な所だけを使い帯や腰紐に仕立て直され、その後座布団になり、おしめになり、雑巾になり、細く切って縒り合わせ下駄の鼻緒にし、 切れた鼻緒は焚付けに使われたそうです・・・・が、これで驚いていてはいけません。まだまだその先が有るのです。焚付けに使ったら灰になってしまってお終い・・・、 と普通は思うのですが、江戸人の凄さはこの灰でさえも無駄にしなかった所なのです。何と灰も灰買人と呼ばれる商人が各戸の灰を買って回り、 その灰は紺屋の藍染め用をはじめ、製紙、酒造、絹の精練、家具・建具の汚れ落としなど様々な用途に使われ、川越など江戸の周辺では灰市が立つ程だったそうです。 完全に循環、リサイクルされていたのですね。江戸がその当時の世界でも類を見ないエコロジー都市と言われている所以がこれで納得です。 これはもう、貧乏だったからという理由だけでは到底割り切ることの出来ない、素晴らしい英知と謙虚な生き様を感じずにはいられません。

今朝自宅の書棚を何となく眺めていていたら、その石川英輔 さんが書かれた~衝撃のシミュレーション~「2050年は江戸時代」という本の題名に目が留まりました。 1998年に講談社文庫から発行されているのですが、その裏表紙には「21世紀、物質文明のつまづきから、日本は省エネルギー、完全リサイクルの江戸時代へと回帰していた。 一日三時間半働けば暮らせる晴耕雨読の生活。必要なものは簡単につくれる自給自足社会。自然と共存共栄していた江戸の精神と豊かさ、楽しさをわかりやすく伝え、 現代文明に警鐘を鳴らす衝撃の問題小説」と書かれています。昔から作家は未来を予言するような事を書く人が少なくないけど、まさに今この時代の事じゃあないの?
殆ど内容を覚えていないのでもう一度読み直してみようと思います。今年が2008年ですから2050年といえば後42年後ですね・・・。生きてるかな~。

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